コウノドリ 第3話で考えた、出産のリスクと甘え
コウノドリ第3話の1つの核は、「旅行がしたい」という若い夫婦や、どうしても喫煙が止められない妊婦でした。
この手の話を見ると、いつもその理不尽さに強い憤りを覚えます。
なぜなら、こういった行為のリスクをとるのが誰かとなると、お腹の赤ちゃんだからです。
行為の結果が本人ではなく、別の最も弱い人が引き受ける形になってしまう。
しかも行為者がそのことを分かっていない。
理不尽に思えてなりません。
新生児の死亡率の低下と、私たちの甘え
本来、妊娠・出産はリスクを伴うものです。
ところが皮肉なことに、私たちは、赤ん坊を救おうという医者たちの努力・・・世界的にも極めて低い新生児の死亡率にあぐらをかいてしまって、「無事に産まれて当然でしょ?」という甘えの気持ちがどこかにある。
そのために、親がケアすべきことに無頓着になって、無意識のうちに、お腹の赤ちゃんにリスクを負わせているのではないかと思うのです。
日本の週産期医療は極めて優秀で、新生児の死亡率の低さは世界でもトップクラスです。
でも昭和元年である1926年の新生児死亡率は千人に56.9人は亡くなるというものでした。
東京オリンピックが開催された1964年でも千人中12.6人が亡くなっています。
平成元年の1989年になると2.6人と世界のトップクラスの低死亡率になりました。
2014年の段階で1000人に対して0.9人。とうとう1人未満に到達しています。
これは他の先進国よりも良い数値です。
一方で、お産で死亡する妊婦が極めてまれになった結果、皮肉にもお産が危険なものであるということを私たちは忘れてしまっている気がします。
これが、「やってはいけない」とわかっていることを妊娠中にしてしまう原因になっている気がして仕方ありません。
産婦人科医になりたくない?
話は変わりますが、産科医の医療事故というと、福岡で起きた大野病院訴訟を思い出します。
帝王切開の後、産婦がなくなったことを業務上過失致死として検察が起訴した事件です。
この裁判では、検察が控訴を断念するという結果になりました。
今、産婦人科医の成り手が少なくなっていると言われています。
先日、知人の医学部生に「どうしてみんな産婦人科医になりたがらないの?今必要なのに」と聞いてみました。
すると、「訴訟になる確率が高いからですよ」という答えが返ってきました。
医師の卵がこんなことを考えている社会ってどうなんだろう?とちょっと考えてしまいました。