NICU(新生児特定集中治療室)への入院


ハンドル名:りんこりん

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1977年生まれ 39歳 AB型 子供1人の3人家族
24歳で結婚し、15年後に自然妊娠。
妊娠中は高齢出産のリスクを調べる日々でネット検索魔になっていました。
また、最新の出生前診断を受けに飛行機に乗って大阪まで胎児ドッグにも行ったりも。
子供は3240gと大きな子でしたが出産直後、無呼吸発作の為NICUへ入院する事になってしまい酸素ケースごしにしか見れない娘が心配でしょうがなかったです。
退院後、娘はスクスク元気に育っており我が子に出会えた幸せを毎日感じています。


生後1日でNICU(新生児特定集中治療室)へ入院

予定帝王切開で無事に産まれた娘でしたが、出産の翌日にNICUへ入院してしまいました。

早朝、新生児室で寝ている姿を見たばかりだったので、医師からそう言われても何の事なのか理解するまでに時間がかかりました。

「低酸素発作が2回あり、チアノーゼがみられたのでNICUの方で様子をみています。」

詳しい説明は夫婦揃ってからと言われたので急遽夫へ連絡し会社を早退して病院に来て貰う事にしました。

低酸素発作って事は呼吸が止まったって事?
チアノーゼって死んじゃうんじゃないの?

私は色々な不安でパニックになりそうでした。
数時間後、夫が病院に着いても私はまだ頭の中が真っ白でうまく説明出来なかったです。





NICUに入院している赤ちゃん達

夫と一緒にNICUの医師から説明を聞き、同じフロアにあるNICUへ連れていって貰いました。

NICUは厳重管理で入室制限がされていて面会時間なども決まっています。
そして入室出来るのは子供の両親だけです。

手続きをして中へ入ると、様々な医療機器があり保育器に入っている未熟児の赤ちゃんもいっぱいいました。

私が出産した大学病院は大きなNICUがある病院だったので、他で産まれた赤ちゃんでここに搬送されてくる子もいるようでした。

案内されたケースの中にいた娘は高濃度酸素を投与するチューブや点滴、口にはチューブが入れられて痛々しく見た瞬間に涙が出てしまいました。

娘が入っていたケースは酸素や温度、湿度が高く設定されているもので手だけ外から入れられるようになっていました。

蓋を外し手を入れて寝ている娘に触るとピクッと動いていましたが、なんだか可哀想でその日はもう触れませんでした。

搾乳して初乳を届けました

本来は母子同室の病院なので産後2日目からは一緒の部屋なのですが、娘はNICUへ入院してしまったので結局退院するまでずっと別々でした。

そして酸素ケースに入っている娘には哺乳瓶で看護師さんがミルクをあげます。
オムツ替えも看護師さんがするのでケースごしに見守って、撫でてあげるくらいしかできません。

その為はじめのうちは母乳も直接あげることが出来ませんでした。

ですが、初乳が大事だということで病院から3時間おきに搾乳器で搾乳してNICUへ届けるように言われました。

私は母乳の出があまり良くなかった為、搾乳が痛くて痛くてとても辛かったです。

夜中も3時間おきに絞って10CCや20ccの初乳を届けるのですがNICUの窓口へ預けるだけなので娘には会えませんでした。

親の気持ちを実感しました

毎日、面会時間に会いに行っていたのですが、娘は治療の為いつもうつぶせで寝かされていたのでいつも小さな背中をただ見守ることしかできなかったです。

NICUへ入院して1週間、高濃度酸素投与、検査の経過も順調という事でやっとケースから出て身体についていた管も殆ど外れました。

看護師さんが私達のところに娘を連れてきてくれ、初めて自分の腕に抱いた娘は小さくてあたたかくて、、、。
腕の中でスヤスヤと寝る顔をみてやっと少しホッと出来ました。

「このまま元気に育って欲しい、、、。どうか大きな病気じゃありませんように。」
抱っこしながらそう神様にお祈りしていました。

その後、低酸素発作は一過性のものだったという診断になりNICUで母乳を直接あげられるようにもなって無事退院することが出来ました。

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